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2015.08.17

Submission

 支社長室に呼ばれた。それは時折行われる、抜き打ちでの面談だった。どうせ、異動の意向なんかを話すことになるのだろう。あまり意味のある時間とは思えなかった。

 ビルの最上階まで上がって、秘書室を通って支社長室へ入った。部長室には頻繁に出入りするが、支社長室へ入るのは、月に一度くらいだ。
 ドアをノックして、室内に入る。まず目に飛び込んでくるのは、東に向かって開けた、全面のガラス張りだった。町を見下ろし、阿蘇を望むその風景は、こんな昼間からカリフォルニア辺りの赤ワインでも飲みながら眺めるには最高の景色だった。が、その風景を眺められる椅子に座りたいとは思わなかった。

「忙しいところ悪いね」
 支社長はにこやかに笑いながら言った。言葉遣いも丁寧で、慇懃な態度には好感が持てる。失礼します、と言ってソファに腰を下ろした。どうせ今日も暇なので構わない。
 ふと、机上に目をやる。いくつかの文書が乱雑に置かれていた。そのうちの1枚に目が止まる。
 あれは、と思った。私が立てた起案だった。その独特なフォントは、見間違いようがなかった。私は起案を立てるときには、普通は使わない独特のフォントを使う。支社長は散らばった書類のなかから、HGS教科書体で記されたそれをぴたりと引き出した。

 経理にはあまり詳しくないんだけど、と彼は切り出した。
「この起案は、どういう意図なのかな?」
 文書番号と標題を確認した。経理方法の変更を意図した起案だった。

「経理の役割は、大きく2つあるんです」
 私は簡潔に説明する。まず1つは、外部報告用の書類を作ること。一定のルールに則って、財務諸表を作成して公表してやる必要がある。インターネットに転がっている、企業の財務諸表がそれだ。財務会計と呼ばれることもある。
 いま1つは、内部管理用の会計だ。たとえば毎月の決算。これは外部へ公表する必要は無いが、経営状況を経営者に知らしめるために必須となる。財務会計に対して、管理会計と呼ばれる視点だ。

「そちらの起案は、この2つを同時に満たすような経理です。それに従えば、毎月の損益を適正に計算出来ますし、1年続ければ、外部報告用の数字になります」
 言葉にすると簡単に聞こえるが、これひとつ作るために先日、8時間ほど考えた。そんなに時間がかかったのは、二日酔いだったせいかもしれなかった。いや、とにかくそれは――
「――ひとつのマニュアルですね」
 と私は締めくくった。ほぉ、と彼は頷いて、起案をめくる。そこには、AからJまでの代数が記してあった。
「難しすぎて、僕にはよく分かんないなぁ」
 鷹揚に笑う彼に、「簿記も深いものがありますから」とだけ答えておく。この起案と仕訳群とを理解しているのは、経理課でも課長だけだった。

「えぇと、あれは、どこかな」
 手探りをしていた支社長は、1冊の起案を探し当てて開いた。再び、あのフォント。HGS教科書体。
「これこれ。こっちは僕でもわかるよ。中々良い話じゃないか」
 そちらは、金を稼ぐ話だった。従来までの、きっかり3倍の金を儲けるための起案だった。
「多少のリスクはありますが……」
「リスクを取らないとリターンは得られないよ」
 即座に言われた。
「これ、このまま続けてやってもらって構わないから」
 彼は言って、起案に判を押して私に返した。起案を承認する、という意味だった。受け取りながら、軽く頭を下げて礼を述べた。それからしばらく世間話をして、支社長室をあとにした。支社長という立場も、わりと暇らしい。

 幹部一同の判子がずらりと並んだその起案を持って、課長のところへ行った。決裁が下りた旨を伝えたところ、
「おぉーっ!」
 課長が拍手しながら、まるで翡翠の原石を扱うような丁寧な手つきで、起案を受け取った。
「こんなにたくさんの判子が押されてると、ちょっと壮観だね」
「スタンプラリーは終わりですね」
「ね、まさか支社長の決裁下りるとはね」
「え?」
「あ、いまのなし。なんでもない」
 あはは、と笑って誤魔化された。そんな危うい起案なら、課長の名前で廻して欲しかった。私はルーチンの業務に移りながら、頭の片隅で取り留めもなく考えた。そういえば、結局異動の意向は聞かれなかったな、と。
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