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2015.07.22

Criminal Procedure...

 この1週間分の出納をまとめて記帳した。帳簿を閉じてから、青山氏が作ってくれたモスコーミュールに手を伸ばす。カウンター席で、またしても考え込んだ。このバーで経理を始めてからというもの、それはずっと懸念していたことだった。どう伝えたものか、これまで思慮を重ねてきたのだけれど、良い案は思いつかなかった。
「ね、ちょっといい?」
 私はマスターに声をかけた。グラスを磨いていた彼が手を止めて、こちらに歩み寄ってきた。それを確認して、私は彼に告げた。直接告げるというのが、私が思いついた唯一の方法だった。
「経理、あなたがやってみない?」

 え、と、一瞬固まった彼は、困ったような小さな笑みを浮かべた。
「なにか私、お気に障ることをしてしまいましたか」
 という。その表情に、こちらが申し訳ない気分になる。
「あぁ、ちがうの。ごめんなさい、急に言われたら驚くわよね」
 私は軽く笑っておいて、職場で作ってきた説明用資料を手渡した。簡単に事情を説明する。堅い話を切り出すときに私がいつもそうするように、咥えたショートホープに火をつけて、青山氏にも煙草を促した。彼のメビウスに火をつけてやる。

 刑事訴訟法第323条というのがある。経理の帳簿に、証拠能力を認めた条文だ。帳簿に証拠能力を与えた法律は世界的にも珍しい。この法律によって帳簿は、戸籍謄本と同等の証拠能力が認められている。
「裁判でも使えるってことですか?」
 問われて、私は首肯する。航海日誌や印鑑証明が裁判で使われるのとまったく変わらない話だ。けれどその帳簿には、「業務の通常過程において作成された」という条件がつく。とてもざっくり言えば、経営者か、またはそこに雇われた従業員が作成したものしか認めない、ということ。

「裁判というと、あまり関係ないように感じるんですが……」
 青山氏は言う。もっともだ。
「裁判で使われるかどうかは別として、だけど。税務上での意味合いが強いかしらね」
 税務署に対しても、この証拠能力は当然に通用する。だから税務署にしても、この証拠としての帳簿を切り崩すことが出来なければ、たとえ帳簿が間違っていたとしても正しい税金と延滞金を課すことができない。帳簿の持つ、または経理に認められた、大きな特権はそこにこそ存在する。帳簿を武器として税務署と渡り合うことができるところ。まともな会計事務所が経理を代行しない理由はここにある。事務所が代行で経理をしていたら、帳簿は証拠能力を持たないからだ。

「だからもちろん、私がこうして作ってる帳簿も――」
 電卓の隣に積み上げられた帳簿を軽く叩く。
「証拠能力はないし、税務署への対抗手段にもならない、ってことね」
 彼自身が作った帳簿でないと、武器にはならない。

「……神代さんは、俺を守ろうとしてくれてる、ってことですね」
 青山氏が問う。私は何も言わず、頷いた。受け入れてもらえるだろうか、と考えた。彼の煙草が燃える小さな音が、広いバーカウンターに音の波を刻んだ。

「ありがとうございます」
 沈黙を破り、彼は言った。私は問う。
「……引き受けてくれる?」
「もちろんです。むしろ、私のためを思って言ってくださってるんですから、断る理由がありませんよ」
 安心した。論理的に話せる相手は貴重だ。
 ここで、青山氏は小さな疑問を口に出した。
「でも、私にできますか?」
「大丈夫よ。出来るまで徹底的に叩き込むから」
「それは勘弁してください」
 笑いながら、青山氏が指で挟んだ煙草を灰皿に落とした。彼のメビウスは、半分以上が灰になっていた。私もショートホープを灰皿で揉み消して、小さく笑った。一度だけ、彼の一人称が「俺」となっていたことには触れなかった。
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