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2015.07.10

Movie loved

 どこからか蝉の声でも聴こえてきそうな、夏めいた快晴の空が広がっている。私のデスクの上に投げ出されているのは、独自につくったキャッシュフロー計算書。キャッシュが余っていることを示して運用へ廻す決裁のための、それは説明資料だった。余白に幾つかのメモを記して、私は万年筆を置いた。
 少し、疲れを覚えた。アールグレイの紅茶を傾けながら窓の外を見やる。
 こんな天気の良い日には仕事などするものではない。今日みたいな日の正しい過ごし方は、太陽の下でレモンを使ったカクテルを作ることだ。リモンチェッロのソーダ割りでも良い。氷で満たしたクーラーに白ワインが冷えていれば、言うことはない。
 そんな現実逃避をしながら、アルコールの入っていないアールグレイを口に運んでいたところ、

「優雅な仕事してますね」
 黒沢君が皮肉めいた声をかけてきた。
「あら、おつかれさま」
 返しながら、私はずらっと細かい数字の並んだ書類を彼に見せた。
「優雅に見えるなら、これ、やってみる?」
 彼は目の前で手を振りながら言う。
「遠慮しときます。10万以上の数字は『たくさん』としか認識できないんですよ、俺」
「それでよく生活できるわね」
「普段、10万以上のお金に関わることなんてないですからね」
「それじゃ、こないだの『たくさん』の領収書をもらえる?」
「う……」
渋々と 彼は数十枚の領収書を差し出した。
「ありがと」
 受け取って電卓を叩く。領収書の合計額が、先日彼に渡した額と一致していることを確認せねばならない。一応、それも仕事だ。
「怖いなぁ、もう」
 軽口を叩きながら、彼は少しだけ声のトーンを落として続けた。
「今夜、空いてますか?」
「どうして?」
「若手で飲み会やるんですよ。神代さんも一緒にいかがですか?」
「悪いけどパス」
 私は考える間もなく答えた。仕事が終わってまで、職場の人間の顔を眺めていたくはない。もちろん、黒沢君をはじめ、数人の同僚は別として、だけれど。

「それに、」
 私は付け加える。
「今夜は用事があるの」
「あ、そうだったんですか。どこか、お出かけですか?」
「映画をみるの」
 家でね、と付け加える。『おおかみこどもの雨と雪』という映画。今夜9時からテレビで放映されるアニメ映画。
「意外ですね」
「そう?」
「神代さんはアニメなんて馬鹿にして観ないと思ってました」
「あそこに住んでたことがあるの」
 数秒考えて、黒沢君は合点がいったらしい。
「あぁ、映画のモデルになった場所ってことですか」
 私は頷く。あの映画に出てくる通りを、ブランデーに酔いながら歩いたのはもうずいぶんと前のことになる。

「それじゃ仕方ありませんね」
「ごめんね」
 言って彼に精算書を渡すと同時に、私は「おつかれさまでした」と経理課員に告げていた。時計の針は午後5時をまわっていた。

 帰り道でカロン・セギュールを1本買った。ワイン1本で足りるだろうか。
 念のためにタンカレーも用意しておいて、テレビの前のソファに腰かけた。テレビを楽しみにするのは何年ぶりだろう、と思った。
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