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2015.07.09

Sunset Bridge

 私の町の南端。空港を擁するせり出した台地のもと。そこに沿うようにして1本の河が流れている。仕事帰り。遠回りして河沿いの道を選んだ。東へ車を走らせる。
 雨が降り出した暗い空のしたで、右手には山林が迫り、左手にはガードレールを挟んで、河の流れに削られた急峻な崖が切り立っている。その下では悠然とエメラルドグリーンの水が流れるのが見える。ところどころに混じる白色は、岩に打ち付けて弾ける飛沫のそれか。

 1本の橋のたもとで、私は車を停めてエンジンを切った。ジョーカーを取り出して咥え、火をつけた。雨の匂いにメープル・チョコレートのそれが混じった。
 この橋には、幽霊が出るという噂があった。それは子連れの幽霊だという人もいたし、白い着物を着た幽霊だという人もいた。共通しているのは、「本当に出るらしい」ということだった。幽霊が実在するかどうかは知らない。しかしそうした噂が流布する背景には、たしかな理由があるはずだった。それは民俗学と呼ばれる学問の域に属する。

 民俗学の立場からいえば、「橋に幽霊」という構図は珍しくない。
 橋は集落の端、境界にあたる。このムラとあちらのムラとの境。同じことが、橋それ自体にもいえる。それはこちらとあちら、此岸と彼岸を繋ぐ存在。見方を変えれば、それは人の通る道と、人ならざる水の通る道とが交わる点でもある。これらの事情が、橋に幽霊という連想を与えたことは想像に難くない。それは民俗学も認めるところだ。
 しかし、と考える。橋に幽霊が「棲みつく」にはそれなりの理由が必要となる。たとえばここから数キロ遡った場所に架かる橋が自殺の名所であるように。
 熊本県の人間なら、そこで一つの理由を考えつくことができる。昭和28年。6月26日。この地は大水害に襲われた。六・二六水害と呼ばれる未曾有の大災害。その死者や行方不明者が、幽霊の源だと考えることは理にかなう。ただひとつ、その水害でこの辺りの集落には死者も行方不明者も出ていない、という致命的な点を除けば。

 確かに何かがこの場所で起こったはずだ。そうでなければ幽霊は、ここに棲みつくことが出来ない。それが、しかし分からない。何があってこの場所に、幽霊の話が根付いているのだろう。

 ひとつだけ、その理由を示唆する資料がある。それはこの町の図書館の片隅。訪れる人もいないような書架。陽の当たらないその場所にひっそりと眠っている。
 とある大学の、古びた論文の一節。そこに記された文章は、ちょっとここには書けない。筆者もそれが「書いてはいけない」文章であることを自覚していたのだと思う。何らの学術的な資料も示すことなく、ひっそりと雑文の中に紛れ込ませていた。資料を示せない理由は、おそらくふたつ。
 ひとつめ。この町にはその時代を示す歴史的な資料が存在しないこと。当時のこの町に関する資料は全て焼き払われてしまっている。ふたつめ。その事実があまりにも衝撃的で――公表すべきものではない、ということだ。

 東の方の空を見やると、厚い雲が淡いオレンジ色に染め上げられていた。エメラルドグリーンをたたえた河の水面は静かな水音を響かせている。山林からは、儚げなひぐらしの声が遠く小さく聴こえてきた。考え事をしているうちに、いつのまにか短くなったジョーカーから、音もなく白色の灰が落ちた。集落の影は雲の下で濃く深く、地面へ黒い陰影を落としていた。
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