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2015.07.02

Fog and Rain

 どっと疲れる1日だった。
 朝から書庫に篭って、ひたすら10年前の請求書のコピーを取った。それを証憑として収支計算を行い、ファイルに綴った。人を叩いたら致命傷を与えられそうなほど分厚いファイルが出来た。――もしかしたら別の意味で、本当にそんな結果をもたらすかもしれないそれを、上司に提出してそのまま退社した。退社時刻は午後5時5分。残業がなくとも、密度の濃い仕事は私を疲れさせる。

 車に戻っても、帰る気力が湧かなかった。このままコンビニでサワーでも買って、運転席で一息に飲み干したい気分だった。
 ラジオだけをかけた車のなか、抱え込んだハンドルに体を預ける。目の前には、フロントガラス。先刻から降り始めた雨がガラスを叩いていた。吹き荒ぶ風の音が、窓の隙間から甲高く聞こえている。ふと、昔読んだ詩の一節を思い出す。それは或る男が教えてくれた、一篇の詩。

  つめたい疾風の戯れるこの大平原のなかで、
  長い夜な夜な風見鶏が声を嗄(しわが)れさせるあいだ、
  私の魂は、生あたたかい回春の時節よりもみごとに、
  鴉めいた翼をのびのびと拡げるだろう。

 少しだけ窓を開けた。四方のガラスが、雨に叩かれる音を狭い車内に響かせている。
 雨に降り込められた車のなか。この小さな空間だけが私の居場所。
 バッグからJOKERを取り出して火をつけた。この銘柄はあまり人前では吸わない。細長い120mm。焦茶色の煙草。メープル・チョコレートを思わせる甘い紫煙と雨の音とに満たされた小さな場所で、私はほんのひと時、子どものように指で窓ガラスに絵を描く。

  不吉な事どもに満ちみちた心、久しい前から
  氷雪の降りつむ心に何が快いといって、
  われらが風土の女王なる蒼白な季節たちよ、

 窓ガラスに小さなくまモンの絵を描きながら、考える。
 その思考は漆を帯びた闇色のように、鮮やかなまま無慈悲に世界を塗り潰す絶望的な考え。
 しかしそこには、絶望のみが有する甘美が宿っている。
 この甘美に魅せられて、孤絶された絶望をみずから望む。それはひとしずくの涙と引き換えに。

  汝らのほの暗い闇の、常に変らぬ相貌に如くものはない、
  ――ただし、月のない宵、めいめい二人連れ、
  ゆき当たりばったりの臥床に、苦痛を眠り込ませることは別として。

 中指と人差し指の間で、燃えた煙草がジイっと音を立てた。
 この詩を教えてくれた男は、どこか別の所で別の人生を歩んでいる。
 今夜はブランデーをあけよう。雨が月を隠す夜。ひた隠しにしてきた苦痛もまた、ブランデーが眠り込ませてくれることだろう。
 鍵を回してかけたエンジンの音が、雨の中に大きく響いた。

ボードレール(1857)『悪の華』より『霧と雨』

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