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2015.06.25

Tax affairs

 扉の前で、私は腕時計で時刻を確認した。約束の時刻を5分過ぎていた。
「やぁ、来てくださってどうもありがとうございます」
 扉を開くと、マスターの青山氏が迎えてくれた。私が片手間に経理をしているバーのマスター。相談があるから一緒に聞いてくれないかというメールを彼から貰ったのは、昨日の夜のことだった。

 私は青山氏に遅刻を詫びた。
「ごめんなさい、ちょっと雨がひどくて」
「いえいえ。私こそ無理言ってすみません。こちらへどうぞ。先方もお見えになっていますよ」

 カウンター席の奥、扉を抜けて事務所に通される。応接椅子の前では、スーツ姿の男が礼儀正しく立っていた。歳は私と同じくらいか、少し上のように見えた。

「わたくし、こういうものです」
 彼が名刺を差し出した。そこには誰もが知る保険会社の名前が記してある。相手の名前だけ確認しながら、私は自分の名刺は持っていないことにした。
「すみません、名刺忘れちゃって。神代です」
 彼の名刺をテーブルに置いて、私はその営業担当者のはす向かいに座った。私の隣に青山氏が腰を下ろす。
「えぇと、保険の話でしたよね。節税になるということでしたが……経理をやってくれてる彼女にも話を聞いて貰おうと思いまして」
 青山氏の口から「経理」という言葉が出た瞬間に、営業担当者の顔が少し曇った気がした。が、それは一瞬だった。すぐに営業用の静かな笑みに戻る。見事なものだった。

「そうでしたかそうでしたか。それでは改めてご説明させて頂きますね」
 彼はその笑みを保ったまま、クリアファイルから資料を取り出して説明を始めた。その内容はこうだった。

 このバーが保険会社と契約を結んで、マスターの青山氏に保険金をかけるというもの。当然、バーが保険料を支払うことになる。この保険はいつでも解約することが出来る。そのときには今まで払ってきた保険料に応じてお金を返す。おおまかに言うと、そんな内容だった。青山氏がごく自然な疑問を呈した。

「それって普通の保険だと思うんだけど、それがどうして節税になるんですか?」
 営業担当者は答えた。バーが支払う保険料は経費として認められる。つまり利益を小さくする効果があるんです、と。
 彼は説明用パンフレットのページをめくった。たとえばこのバーの利益が100万円だとする。法人税は利益に課される。税率が30%だとして、そのままだと30万円を納税しなくてはならない。ところがこの保険料をたとえば20万円支払っていると、利益は100万円から20万円引いて80万円になる。ここに法人税率30%をかけて、納税額は24万円。
「したがって6万円のお金が節税されることになります」
「確かに税金は安くなってますけど、なんていうか、それって得してるわけじゃないですよね?」
 青山氏が言う。その通りだ。20万の費用が増えて6万の節税なら、差し引き14万の損になる。思わず青山氏を褒めたくなる。私がおもっている以上に、彼は経理のことを理解してくれていた。
「おっしゃる通りです。そこでこの解約のお話になるんです。普通の保険だと保険料は掛け捨てで戻ってこないか、戻ってきてもごくごく僅かですよね」
「えぇ、そう、ですよね……?」
 青山氏は言いながら私の顔を見た。私は黙って頷く。すると彼はひとつの表を出してきた。指で差しながら説明する。
「こちらの表が、解約したときに戻ってくるお金のパーテンセージを示しているんです。5年後ですと、こちらですね、なんと98.5%が戻ってくることになります」
「5年ということは、毎年20万支払うとして合計100万を支払っているわけですね」
「その通りです。ですがそれは5年後には――?」
 営業担当者が、パンフレットの数字を指した。青山氏がそれを読む。
「98万以上。戻ってくるわけですね。一方、毎年浮く税金は6万円。5年で30万浮くことになって……」
 青山氏は頭の中で計算を始めた。

「いかがでしょうか?」
 営業担当者は、私の顔をのぞきこみながら笑みを浮かべた。営業用のそれとはすこし異なる、もう少し力を入れた笑みだった。

「もう一度さっきのページを見せてもらってもいいですか?ちょっとよく分かんなくって」
 私は尋ねた。彼はすぐにパンフレットを見せてくれた。解約時の返戻率に興味はなかった。そのページの片隅に目を走らせる。私の興味があるのは、その端っこ。多くのパンフレットにおいてそうであるように、国税庁の通知はとても小さな字で記してあった。

「神代さん、私はこれ、悪くない話だと思いますけど」
 隣から青山氏が言った。
「マスター。とりあえずは時間を頂いて考えてみるのはいかがでしょうか」
 私は穏便な策を取った。これが職場とそうでない場所との違いだ。職場であればもう少し冷酷に行っても構わなかったが、青山氏の前ではそうはいかない。客商売の難しさだ。

「本当のとこ、どう思います?」
 営業担当者が去ったあとで青山氏が言った。
「まだ早いと思うわ」
 私は簡潔に答えた。
「悪い話じゃなさそうですが」
「解約の時に戻ってくるお金があるでしょう?」
「えぇ、かけた保険料がほとんど戻ってくるという話ですね」
「これ、受け取った時点で大体半分くらいが収入になるから法人税かかるのよ」
 したがって、結局は課税される時期が先送りされるだけの結果になる。その他にもいくつか、重要な点がさっきの話には欠けていた。
「払った保険料も全額を費用にできるわけではないし、解約時の返戻率が高いのもわずかの期間。もし契約していたら、こちらのキャッシュフローを悪化させていたでしょうね。解約しようにも出来ないなんて、怖いと思わない?」
「怖いものですね……正直言ってこれまで経理なんて軽視していましたが、こういうことがあるなら、経理を知らないとやっていけないかもしれません……」
 一番大事なのは、と私は忠告する。
「税金で楽しようと思わないこと、かしらね」
「あ、ばれました?」
「みえみえ」
 私は営業マンが置いていった名刺を灰皿に乗せて、青山氏に渡した。受け取った彼は、ライターに火をつけて名刺を燃やした。炎をあげる名刺を眺める彼の表情。そこにはもう未練は残っていないように見えた。
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