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2015.06.23

A note

 ここに1冊の手記がある。これを記したのは私の知る、一人の女性。彼女が綴った文章がおさめられている。

 今日1杯目のジン・トニックを口に運ぶ。ライムを省略して作ったそれは、いつものそれよりわずかに甘い。トニック・ウォーターが多かったのかもしれない。

 手記を開く。わずかに変色した紙に、艶のあるインクで文字が刻んである。その字が乱雑なのは彼女の悪筆のせい。または彼女が酩酊して文字を記したせい。乱れた文字が勝手気ままに奏でる文章は、しかし破綻なく繋がるジャズのように滑らかで、そして美しい。

 ジン・トニックを一息に飲み干し、一本のボトルを取り出した。オタール。ブランデー。
 グラスに注ぐ。彼女の愛したブランデーのひとつだった。
 このブランデーのボトルを彼女は、涙の一粒のような、と表現した。それがこのボトルの形を指していたのか、それともそれ以外の意味があって記した比喩なのか、それは分からない。

 今夜は雲が月を隠している。
 硬くて黒い夜の只中で、一片のコニャックが葡萄の薫香を咲かせる。灼いた葡萄の香りと、蒼い月。彼女はそれらを愛した。

 手記の頁を繰る。流麗な文章で綴られた彼女一流の文章は、しかし唐突に途切れている。手記の最後に刻まれた日付は、2004年の8月。私は17歳だった。もう10年以上前になってしまったその日。彼女は私の前から姿を消した。いまどこにいるのか。生きているのかどうかさえ、私は知らない。
 
 今夜の大津町には弱い雨が降っている。雨音は静かにこの世界を彩りながら注ぎ続ける。グラスのオタールに浸み入る、一粒の涙のような雨。こんな雨が降り続けたならば、彼女はいまでもここに居てくれたのかもしれない。彼女の記した手記からは雨の匂いがする。

 手記を閉じて、私は最後のオタールをグラスに注いだ。
 最後にもう一度だけ、この手記の主、私の敬愛する叔母に会えることを願いながら。

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