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2015.06.16

Bar

 3ヶ月に一度くらい。忘れたころに訪れるバーがある。
 町の外れの小さな路地を、一本裏に入る。そのバーに看板は無い。地下へ続く階段の奥、暗い闇に浮かび上がる雨粒のネオンサインが看板代わり。
 扉を開く。バーには珍しく、扉にベルがついていない。バーテンダーの彼女は、その無音に反応してくれる。私をちらっと見て、分かるか分からないかくらいの角度で頭を下げた。そういうバーテンダーだった。年の頃は、30を少し過ぎたくらいか。
 そのバーにはカウンター席しかない。ひどく手狭な、まるで洞窟のようなそのバーの、一番奥に腰を下ろす。
 すぐさま供されたのは、灰皿。それは記憶力に優れたバーテンダーにしか出来ないことだった。

「何にいたしましょう」

 彼女は尋ねた。もしも亡霊が喋るとしたらこんな口調なのだろう。抑揚がない。ふと、こないだ話題に上がった幽霊屋敷のメイドを思い出す。たしか、ホーンテッドマンションだったろうか。あの衣装も彼女には似合うかもしれないと思った。
 ベルネロワ、と私は答える。この辺りでそのカルヴァドスを出してくれるバーを、私は他に知らなかった。
 彼女はまるで機械のようにバックバーの一角に足を進め、数多のボトルの中から取るべきボトルを取った。そして磨き抜かれたブランデー・グラスへ、ひとかけらのカルヴァドスを移した。実にさまになる所作。林檎の甘い香りが、ふわりと鼻にとどいた。
 私が彼女について知っていることは限られている。彼女が古いロックを好きだということ。文章を書くのがとても上手だということ。そしてブランデーに目がないということ。女性1人でバーを経営している、私の知る限りもっとも不思議なバーテンダーだった。


 一杯のベルネロワ。たっぷりと時間をかけて味わった。その間、彼女との会話はなかった。それは、なにか共通の話題を探そうとする時間ではなかった。気まずい沈黙に耐える時間でもなかった。私は私のカルヴァドスを味わい、彼女は彼女の時間を過ごした。有線のBGMにあわせて、彼女が小さな声で口ずさむビートルズが聞こえた。あれは「アクロス・ザ・ユニバース」だったろうか。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、古い歌を口ずさんでいた。そのことを指摘してみたところ、彼女は、

「声に出ていましたか」

 そう言って、少しだけ俯いて顔を赤くした。無意識だったらしい。なぜだかわずかに罪悪感を覚えた。バーテンダーの彼女には悪いけれど、この店がこれ以上繁盛しないことを祈りながら、私はグラスのベルネロワを飲み干した。
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