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2015.09.30

Nikolaschka

 ポール・ジローとコアントロー、レモンをキッチンから持ち出してソファに腰掛けた。疲れて、他に何をする気にもなれなかった。
 原因は1週間ぶりの仕事だ。朝9時から夕方5時まで、真面目に働いたらどっと疲れた。元々、自分自身が適当な性格であることは自覚している。真面目に働いたら疲れるのは、だから当たり前だ。

 ソファに半分倒れ込むように腰を下ろしておいて、傍にあるシェイカーを引き寄せた。目の前のテーブルには、レモン。サイドカーを作るのは、これからこのレモンを搾ってジュースにして、シェイカーに入れて――と考え出すと、途端に面倒になった。
 何か別のカクテルにしようか、と考える。もともと、サイドカーを作ろうとしたことに大きな意味はない。ただそこにブランデーがあってレモンがあって、コアントローが目についた。それだけ。

「なにか、別のカクテル」
 そう呟いて、少し考えてみた。条件は、簡単な材料を使って、簡単に作れて、美味しいこと。疲れ果てた頭で良い案が浮かぶはずもなく、ぼんやりと窓の外に目を向けた。
 外は雨。冷たい風の吹く夜に、音のない雨が降っている。いや、降っているという表現は適切でない。音も色も無い細い雨粒は、この夜に溶け込みながら、天空の月光を滲ませている。

 滲む雨。ニコラシカ。何の脈絡もなく、そのカクテルの名前が頭に浮かんだ。ふと思いついたそのカクテルは、偶然にも今求めている条件を全て満たしていた。

 コアントローのボトルをキッチンに戻しておいて、代わりに上白糖を持ってきた。
 ソファに身を預けながら、果物ナイフでレモンの輪切りを一枚、切り出した。ブランデーグラスにポール・ジローを注いで、輪切りのレモンをグラスの縁へ乗せる。ちょうど、ブランデーグラスに蓋をするように。そしてその蓋となったレモンの上へ、小さく砂糖を盛る。それで、完成。横から眺めると、ブランデーグラスが帽子をかぶったようにも見える。

 このカクテルの飲み方を一目で見抜ける人は、そう多くない。したがってバーでオーダーすると、妙に注目されてしまうことになる。飲み方としては、砂糖を挟むようにレモンを二つ折りにして口の中へ。そのあとでブランデーを一気に呷るのが正しい。――私の中では。

 そうやってニコラシカを一息で空けてしまったあとで、私は気付く。滲む雨がニコラシカを思い出させた理由。それは、レモンの果肉へ滲み始めている砂糖を眺めながら過ごした、いつかの雨降りのバーでの記憶だったということを。

 思い出さなければよかった。

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2015.09.29

Alcoholic way

 出勤は明日からの予定だった。シルバーウィーク中の出張。今日まで、その振替と休暇を取るよう言われていた。

 そういう理由で休みの今日。
 朝から少しオフィスへ行ってきた。休み明け、デスクに溜まった請求書の山を見ると気が滅入りそうな気がしたからだ。仕事は嫌いだが、その嫌いな仕事で気が滅入るのは、もっと嫌だった。

 オフィスに足を踏み入れると、皆口々に「今日まで休みじゃなかったの?」と声を掛けてきた。
 決して小さなオフィスではない。どうして私の休みの予定がそんなにも広まっているのだろう。
 
 同じことを後輩の黒沢君にまで問われて、私はとうとう問い返さずにはいられなかった。
「たしかに今日まで休みの予定だけど。でもどうして、それ、知ってるの?」
彼は答える代わりにiPhoneを操作して、メールを開いてみせてくれた。
「神代さんが出張に行ってたことも休みの予定も全部、メールで周知されてますよ」
 業務連絡、という名目でたしかに、そんなメールが廻っているようだった。呆れてしまう。
「……私の休みの予定まで書く必要ないわね」
「それだけ注目されてるってことですよ。今回の出張が」
 彼は含みのある笑みを浮かべながら続けた。
「それで今日までお休みと思ってたんですけど。珍しいですね? 心境の変化ですか?」
 言外には、「仕事嫌いで、いつもきっちり定時で帰ってるのに」という響きがあった。説明するのは面倒だったので、
「私、幽霊なの。本体は家でジントニック作ってるとこよ」
 適当にもほどがある説明であしらっておいた。

 それから経理課の自分のデスクにつき、1時間ほど仕事をした。デスクの上を空っぽにして、最後にアルコールティッシュでデスクの上を隅々まで磨いて、「今日はこれで失礼します」と声を掛けて退社した。

 アルコールティッシュのせいか。ウォッカが飲みたくて仕方がなかった。そろそろ林檎の時期が近い。ジュースにして、ビッグアップルでも作ろう。良い林檎は売ってあるだろうか。
 連休の最終日はいつだって憂鬱なもの。こういうときくらいは甘いカクテルを作るのが、時宜を得たアルコールの飲み方というものだ。
2015.09.28

Wandering

 町を歩いた。どこか行きたい場所があったわけでも、何かを探していたわけでもない。そこに何か理由があるとしたら、青空の下でアルコールを飲みたいという程度のことだった。ただの、気まぐれ。

 コンビニエンス・ストアでウォッカレモンソーダを買った。一息に飲み干して、空き缶はゴミ箱へ。
 よく晴れた午前9時。太陽は煌めきながら世界を照らしている。暑ささえ覚えるような陽気のなか。駅前から、東へ向かって歩き始めた。

 地理的にも経済的にも、この街道は町の中心にあたる。江戸時代には参勤交代の道として使われた道だ。熊本城の辺りから、この大津町を経由して、阿蘇の二重の峠を通り、大分へ至る。肥後街道、または豊後街道という名前で呼ばれている。その宿場町として、この大津町は賑わったという。

 古い歴史を持つ街道を歩く。
 狭い道だ。道の両側に目をやる。歴史がある、というよりは鄙びた街並み。閉ざされた商店も少なくない。
 私は途中で再びコンビニに寄って、今度は缶のカクテルを一本、買った。普段は決して飲まないようなそれも、この青空の下で飲むと、悪くなかった。

 カクテル缶を傾けながら、ぼんやりと眺めてみる。
 ガードレールの向こう側に、鉄道路線が伸びているのが見えた。赤茶けたバラスト石の間に、鮮やかな紫色の花弁が揺れている。どれだけの秋を、この花は同じ色で迎えたのだろうか。そんなことを考えた。
 数百年の間に、この参勤交代道は鉄道に取って代わられた。今ではその鉄道も国道へ、その役目を譲っている。時の流れはここにたしかにあって、変わるものと変わらないものとを選り分ける。人も町も、時の前に平等だ。多くのものは変わらないではいられない。良くも、悪くも。
 私は空になった缶をゴミ箱へ捨てて、再び東へ歩き出した。


 町の東の方。引水と呼ばれる場所辺りまで歩いた。
 ふと、目が引かれる。かつてよく訪れていた喫茶店があった。誘われるように、その店の扉を開く。いつかと変わらない味のコーヒーを供されて、わけもなく安堵の息が漏れた。
2015.09.27

Moon

 今夜が中秋の名月であることに気付いたのは、午後8時を大きく廻ったときだった。
 どうすればこの失態を取り戻すことが出来るのか。考えながら、ひとまずグラスに注いだジンを呷った。

 良いアイデアが思い浮かばなかったので、コーヒーでも飲みながら近所の公園でお月見をすることにした。コーヒーは、淹れるのが面倒だったので、近くのコンビニエンス・ストアーで購入した。缶コーヒーではなくて、一杯立てコーヒーを選んだのは譲れない一線だった。

 スリーブを巻いた、紙カップ入りのコーヒーを片手に、近所の公園へ。

 静かな、夜の公園。
 私の靴が踏み下す、土の音さえ聴こえるような、静かな静かな夜だった。遠くに見える、丘の上に立つ家々に明かりが灯る音さえ聴こえてきそうな夜空に、銀貨のような月が漂っている。

 コーヒーを一口飲んで、ぼんやりと月を見上げた。何か考えるべきことがあったはずなのだけれど、何も考えることが出てこない。月が朧雲を帯びながら光を散らし、雲が去ればまた、銀白色に輝きだす。その、音を持たない繰り返しを眺めていた。
 と、――

「お姉さん、ひとりですか?」
 見ると、高校生くらいの少年が2人。軽く脱色した髪色が、夜でもしっかりそれと分かった。
 素っ気なく、答える。
「そうだけど?」
「そうですか。最近ここ、痴漢も出てるらしいので気をつけてくださいね」
 彼の言葉に、小さく、溜息が出た。つい、面倒な声掛けをされたかと誤解してしまった。「最近のお前は険がある」と言われたのは、正しかったらしい。私は小さく笑みを作って、
「ありがと、少年」
 答えておいて、再び空を見上げた。不思議と空に、星はひとつも見えない夜だった。
 銀色の月がふわふわと浮いている。サァっと吹き抜ける風が、手元のコーヒーの温かみを私に伝えていた。
2015.09.26

On the wall

 3ヶ月ぶりに会った霧島先生は、私の姿を一目見るなり、
「今日は鉄板焼きだな」
 と当初の予定を突然に変更して、車を走らせた。
 もともとの予定だとイタリアワインを飲みに行くはずだったのだけれど、それはビール辺りに変更しなくてはならないようだった。

「元気にしてたか?」
 問いながら、霧島先生は器用にコテを使って、鉄板の上の海老をひっくり返した。香ばしい音が響いて、潮の香りがふわっと広がった。私は白ワインをふたつ、頼んでおいて答える。

「えぇ、それなりには」
「嘘だろ」
 即座に言われた。ククっと笑いながら、彼女は今度は帆立を鉄板へ乗せた。
「険のある目になってるよ。高校生の頃の目に、戻ってる」
「そう……ですか」
 自覚はなかった。が、高校時代の恩師である霧島先生からは、そう見えるのだろう。
「神代のことだから、『何があった?』なんて訊いても答えないだろうけどね」
 先生は海老に丁寧に胡椒をまぶしておいてから、帆立の裏側を確認して、ひっくり返した。豪快に見えて、先生にはそういう、繊細な一面があった。

 私は空になった先生のグラスに白ワイン――それはラングドック地方の、とても丁寧に醸造されることで有名なワイン――を注いでおいて、話を逸らした。
「このお店、よくいらっしゃるんですか?」
 問うた私に、先生は少し意外そうに答えた。
「いや? 職場の連中と来たことが何回かある程度かな」
「焼き方、慣れてらっしゃるので、てっきりお一人でよくいらっしゃるのかと思いました」
 お前な、と先生は小さく笑った。ロング・ピースを咥えて火をつけながら、彼女は続ける。
「女1人でここで鉄板焼き作る勇気は、まだないよ」
「先生なら出来そうな気もしますが……」
「それが出来たら、祭りの屋台でも開いた方が建設的じゃないか?」
 そうですね、と答えておいて私は、「建設的」とは一体どういう意味なのか、考えてみた。
「相変わらず、話を逸らすの下手だな」
 先生が呟いたその一言は、聞こえなかったふりをした。

 鉄板焼きは霧島先生が推すだけあって、とても美味だった。鉄板焼きという調理法が案外、ワインに合うことを私ははじめて知った。
 食後のコーヒーを飲みながら、お互い、無言で煙草の葉を焦がした。こういう食後の一瞬。沈黙して、それでいて気まずくない時間を過ごせる相手というのは、私にとって貴重だった。

「なぁ、神代さ」
 先生が、切り出した。それはなんだか今日、先生に言われることを私自身、覚悟していたような気がした。
 なんですか、と返しながら私はショート・ホープの灰を灰皿に落とす。
「なにか、壁があるなら、の話だ。そうじゃないなら、気にしないでくれ」
「……」
「壁の越え方を、どうこう言うつもりはない。っていうかな、それを超えるかどうかも大して重要じゃない、……と私は思う」
 トンネル効果の話じゃないからな、と小さく付け加えた霧島先生に、私は小さく笑ってしまう。高校の物理室で、教壇に立っていた頃の先生の話し方、そのものだった。一言一言を、光に映える小さな鉱石のようにささやかに告げる、その口調。
「壁は実は扉かもしれない、なんて陳腐なことは言わない。ただ、もしも壁にぶつかっているなら、そこに楽譜を描けば良いと思う」
 私の好きな、その口調。
「文章を書けるなら詩を書けば良いし、絵を描けるなら絵を描けば良い。そうしたら、」
 ふっ、と煙を吐きながら、先生は続けた。
「超えるべき壁がいつしか、永遠に残る記念碑になる。――私はそう、思ってる。お前はどうだ?」


 今日の日記は、ここで終わりにしておく。
 先生に私が何と答えたか。それはなんだか――ここに書くべきことではない気がするから。
 私が今日のことで、苦悩の壁に一篇の詩を書く気持ちになったことを記しておけば、それで十分なのだろうと思う。
2015.09.25

Start

 何もすることのない金曜日の朝。

 うるさいばかりで何の役に立たないテレビを消した。プツン、という低い音を立てて電源が落ちる。
 外は晴れ。こうして家の中で過ごしていることがもったいなく思えてくるくらいの快晴だった。どうやってこの朝を過ごすことが正しいのか分からず、私はコーヒーを淹れた。

 カップ片手に、窓際のソファへ腰を下ろす。
 カップの中の黒い液体。そこから絶えず湧き上がる湯気は、まるで上質な絹のように濃く、きめ細やかに踊っていた。カップの表面にじっと視線を落としながら、とりとめのないことを考えた。

 久々に森へ行ってウォッカレモンソーダでも飲もうか、と考える。こんな暑ささえ覚えるような快晴の空の下。それは考えるだけで、わずかな酔いをもたらしてくれた。
 しばらく留守にしている、経理課の私のデスクのことを考える。請求書と決裁で埋め尽くされているであろうその様を思い描くと、少し頭が痛くなる。休みの今日、少し職場に顔を出して書類の山を片付けるのは、悪くない考えだ。

 しかしとりあえずは――と、私はカミュのボトルを取って、コーヒーカップの上で傾けた。コーヒーの香ばしさの合間に、ブランデー特有の焦げた葡萄の香りが混じる。私の人生において最も慣れ親しんだ香りが、午前8時の室内にふわりと溢れる。
 そして結局、頭の中で描いた計画は白紙になって、今日も朝からアルコールに溺れる一日になる。最初から分かりきっていたことだけれど。

2015.09.24

Since...

 何もすることがなくて、私は役所へ行くことにした。ついつい先延ばしにしていた、転居届の提出をするためだ。
 原則として、引越しをしてから2週間以内に提出することになっている書類。提出するタイミングが合わずに、もう2年ほどが経っていた。提出しなくても、せいぜい選挙の入場券が届かないくらいで実害はない。が、マイナンバーが届かないのは少し都合が悪かった。

 役所で書類に記入して、受付に持っていった。
 一通り目を通した職員が、空白になっている「異動日」の欄を指差して告げた。
「神代さんですね。お引越しをされたのはいつですか?」
「2年前くらいですね」
 一瞬、彼女の動きが止まった。
「そうですか……」
 そう呟いて、何かを考えているようだった。私はあえて、何も知らなかったふりをすることにした。

「なにか、まずかったでしょうか?」
「いえ……こちらの書類は、お引越しの日から2週間以内に提出して頂くことになっているんです」
「あら、それじゃわりとダイナミックに期限やぶっちゃったみたいね」
 私の言葉に小さく笑った彼女は、滔々と説明をしてくれた。異動日から2週間以内、という期限を遅れて提出した場合は、その理由書を提出しなくてはならないこと。その理由書を役所経由で簡易裁判所へ届け出ること。過料として5万円以下の罰金が科される場合があること。

「ですが、」
 と彼女は続けた。
「こちらの異動日に関しては、私たちの方で『この日にしてください』と指定することは出来ないんです。あくまで、自己申告、という形をとっていまして……」
 今度は私が笑う番だった。彼女の提案を、私は受け入れることにした。
 胸元から万年筆を取り出して、彼女から書類を受け取る。空白となっていた「異動日」の欄に、頭の中で簡単な引き算をして、『平成27年9月10日』と記入した。お互い、あえて不要な面倒を抱え込むほど、若くもなければ暇でもなかった。

「おつかれさま、ありがとね」
 聡明な彼女に礼を述べて、私は役所を出た。
 市街地を覆う曇り空。阿蘇の噴煙は風に流されて南にたなびいていた。火をつけたショートホープの煙は、迎えた秋の中で静かに空へ立ち昇って行った。煙を眺めているうち、ここしばらく親友の墓参りに行っていないことに、私は気付いた。
2015.09.23

Return

 昨日の深夜に帰宅して、そのままベッドへ倒れ込んだ。自分で思っている以上に、疲労が蓄積していたようだった。
 今回の出張での仕事自体については、特筆すべきことはない。滞りなく、課されたミッションを遂行しただけ。

 ただ閉口したのは、1週間もの間、ずっと他人と一緒に行動することだった。そのことが、ひどく私を苦しめた。
 どうも私は、他人とずっと一緒に過ごすということが出来ない性格らしい。会話を交わす気にもなれずに、ぼうっと空を眺めていたりする。つくづく、自分が集団行動に向いていないことを自覚した。
 主に、仕事が終わってからのこと。大勢で一緒に夕食を摂ったり、バーに行ったりするのは、ひどく疲弊する。それはもちろん、『ウィンドジャマー』で飲んだジャック・ターはそれなりに美味しかったけれど。いずれにせよ、バーというのは大勢で行く場所ではないように思う。バーで最も適切な席はカウンター席で、したがってそのカウンターに収まる人数で訪れるべきだと思う。多くて3人が限度だ。――私の中では。


 帰宅から一夜明けた、今日の朝。
 私は近所の喫茶店へ行ってコーヒーを飲んだ。上等なコナ・コーヒーを傾けながら、ふと考える。そういえば、出張中は一度もコーヒーを飲まなかったな、と。
 1週間ぶりに傾けたブラックコーヒーは、焔のように熱く、死のように苦々しく――それは孤独が有する甘美だった。
 次に仕事に行くのは1週間後だ。それまで何をして過ごそうか。その予定は未だ、立っていない。
2015.09.15

Excuse

 朝一番。今日は昼前に早退することを職場に告げた。突然の申し出だったが、全員が快諾してくれた。明日からの出張の大変さは理解してくれていたらしい。
 ほんのすこしだけ仕事をして、わずかばかりの引き継ぎを済ませた。午前10時には職場を出た。家でやるべきことが沢山あった。

 家へ帰って、カッツのゼクトをあけた。朝から作っておいたサンドイッチをかじりながら、グラスを重ねた。今日も阿蘇は、静かな灰白色の噴煙を上げている。カッツの白ブドウ色と噴煙の灰白色とは、どこかしら似ている部分があった。

 ふと、職場帰りのことが引っかかった。
 職場を出るときのこと。後輩の黒沢君が私を見るなり、「なむなむ」と手を合わせてきた。そのとき私は、とりあえずひっぱたいておこうと思って、手にしていたハードカバーの会計法規集で彼を叩いておいたのだけれど。そのことが妙に気にかかった。気にかかったといってももちろん、叩かれて気味悪く喜んでいた黒沢君のことではない。そうではなく、どちらかといえば私自身のほう――。

 ストレス反応。唐突にその言葉が頭に浮かんだ。調べてみる。すぐさま、納得できる文章が目に入った。
「一定期間に渡って継続的なストレスを受けると、人は攻撃的になったり、またアルコールに依存したりする。それはストレスに対する正常な反応である」
 そんな、内容。

 私は、ストレスを感じているのだろうか。全くない、とは言えなかった。アルコールへの依存はいつものことだけれど。
 しかし、「とりあえずひっぱたいておく」という攻撃性は――よくよく考えてみると、やはりこれもいつものことかもしれなかった。「こらっ」と叱って、本で頭をコツンと叩いておく。そうすると大抵のことは、丸くおさまっていたように思えた。

 グラスのカッツに、クレーム・ド・カシスを落とした。たちまちグラスに咲く、バラの色。このカクテルをキール・ロワイアルと呼ぶことは、どんな時でも許されない。何の違いもないように見えても、全く同じものであるように見えても、両者の間には厳然とした壁が存在している。ちょうど、私たちの過ごす今日が、昨日までの日々の中を探してみてもそこに、ひとつとして同じものが存在しないように。

 明日からしばらく、私は遠いところへ行く。この日記の更新も出来ない。出張の予定は1週間だ。
2015.09.14

Volcano

 阿蘇が噴煙をあげている。噴き上げられた煙の灰白色が、東の天蓋を覆っている。いつものそれより、少しは大きな噴火らしい。
 なんとなくそうするのが正しい気がして、私は安物のスコッチをウィルキンソンのソーダで割った。

 風に乗って徐々に姿を変える噴煙を眺めながら、ふと、ある随筆を思い出した。あれは幸田文だったろうか。細かい部分は忘れてしまったけれど、無気力に苛まれた人の話だったと思う。旅に出たその人は、目の前で火山が噴火する瞬間に出くわして活力を取り戻す。そんな話だったと思う。もしかしたら違っていたかもしれない。


 ハイボールを口に運びながら、ふと、想像する。私もそんな瞬間に出くわすことが出来たなら――。地面の底から轟き渡る、空気を震わせる大地の鳴動。凄烈に沸き上がる噴煙が、太陽目掛けて天を駆けるさま。幽玄さと劇しさとが矛盾なく同居する、噴火の一瞬。

 そんな光景を目の当たりにしたら、私も何かが変わっただろうか。
 だとしたら今回の噴火を逃したことが、少しだけもったいない。

 窓の向こう。阿蘇の上空で、噴煙は雲のように音もなく漂っている。
 いまは落ち着きを取り戻した、夜の前の静かなひととき。グラスの氷がぶつかるカランという音が、町を満たす冷ややかな空気に溶けていった。
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